丁奉

字 承淵 · 不詳 ~ 271年 · 揚州廬江郡安豊県 · 孫堅配下

丁奉の肖像

雪の東興で鎧を脱いで魏軍を破り、孫綝を斬った将

能力値

統率81武力80知力71政治55魅力56

カード

攻撃力 5体力 5コスト 4価値 12職分 猛将
徴募 号令
召喚物義兵を1体呼ぶ(1/1)

正史

出典 · 『三国志』呉書丁奉伝 · 三嗣主伝(孫亮伝 · 孫休伝 · 孫皓伝)と裴松之注の『江表伝』 · 陸機『弁亡論』 · 諸葛恪伝 · 孫綝伝

丁奉は字を承淵といい、廬江郡安豊県の人です。若いころから勇猛果敢で小将となり、甘寧・陸遜・潘璋らに属しました。たびたび征伐に従い、戦うたびに常に第一で、そのたびに敵将を斬り旗を奪い、身に傷を負いました。しだいに偏将軍に昇り、建興元年(252)に孫亮が即位すると冠軍将軍となり、都亭侯に封じられました。

その年の冬、魏が諸葛誕・胡遵らを遣わして東興を攻めると、太傅諸葛恪が軍を率いて防ぎました。諸将はみな「敵は太傅が自ら来ると聞けば、上陸するやいなや逃げるだろう」と言いましたが、丁奉だけは「そうではない。彼らは国内を動かし、許と洛陽の兵をことごとく挙げて大挙して来たのだから、必ず練った計画があるはずだ。敵が来ないことを頼みとせず、我らに勝つ手立てがあることを頼みとすべきだ」と言いました。諸葛恪が上陸すると、丁奉は将軍唐咨・呂據・留賛らとともに山の西に登りましたが、「諸軍の進みが遅いので、敵が要地を占めれば争うのは難しい」と言って諸軍を退かせて道を開けさせ、麾下3千人を率いてまっすぐ進みました。折しも北風が吹き、帆を上げて二日で到着し、徐塘を占拠しました。寒い日で雪が降り、敵の諸将は盛大に酒宴を開いていましたが、丁奉はその前衛の兵が少ないのを見て「侯の爵位と恩賞を得るのは、まさに今日にかかっている」と言い、兵たちに鎧を脱がせ兜だけをかぶらせて、短い武器を持たせました。敵はこれを見て笑い、備えませんでしたが、丁奉は兵を放って攻め、敵の前の陣営を大いに破りました。ちょうど呂據らが到着すると、魏軍はついに崩れました。諸葛恪伝は、魏軍が驚いて散り散りになり、争って浮橋を渡ろうとして橋が切れると、自ら水に飛び込み互いに踏みつけ合い、死者は数万に上ったと記します。丁奉は滅寇将軍となり、都郷侯に昇りました。

五鳳2年(255)、魏の将文欽が降ってくると、丁奉は虎威将軍となって孫峻に従い寿春へ迎えに行き、高亭で追撃してきた敵と戦いました。馬に乗り矛を手に敵陣へ躍り込み、数百の首を斬って敵の武器を収め、安豊侯に昇りました。孫亮伝は、太平元年(256)に孫綝が丁奉らを遣わし、船で江都において呂據を防がせたと記します。太平2年(257)、魏の大将軍諸葛誕が寿春をもって降り、魏軍がこれを包囲すると、呉は朱異・唐咨らを遣わして救わせ、丁奉には黎斐とともに包囲を解かせようとしました。丁奉は先頭に立って進み、黎漿に駐屯して力戦した功により左将軍となりました。

永安元年(258)、孫休が即位し、張布とともに孫綝を除くことを謀ったとき、張布は「丁奉は文書を扱う役人の仕事はできませんが、計略が人より優れ、大事を決断することができます」と推挙しました。孫休が丁奉を呼んで「孫綝が国の威権を握り、法にもとることをしようとしているので、将軍とともに彼を斬りたい」と言うと、丁奉は「丞相兄弟の一党はたいへん多く、人々の心が一つでないことを恐れますので、にわかに抑えることはできません。臘日の会に乗じ、陛下の兵で斬るべきです」と答えました。孫休はその策を容れて会に孫綝を招き、丁奉と張布が左右に目配せして彼を斬りました。孫綝伝は、その年12月の臘日の会に孫綝がやむなく参内したところ、丁奉と張布の目配せで左右が彼を縛り、孫休が彼を斬ったと記します。丁奉は大将軍となって左右都護を加えられ、永安2年(259)に仮節を受けて徐州牧を兼ねました。永安6年(263)に魏が蜀を攻めると、諸軍を率いて寿春へ向かい蜀を救う形勢をとりましたが、蜀が滅ぶと軍を返しました。

永安7年(264)に孫休が死ぬと、丁奉は丞相濮陽興らとともに万彧の言に従って孫皓を迎えて立て、右大司馬・左軍師となりました。孫皓伝は、元興元年(264)に施績と丁奉が左右の大司馬になったと記します。宝鼎3年(268)、孫皓の命で諸葛靚とともに合肥を攻めたとき、丁奉が晋の大将石苞に書状を送って離間したので、石苞は朝廷に召還されました。建衡元年(269)、丁奉は再び兵を率いて徐塘を治め、続いて晋の穀陽を攻めましたが、穀陽の民がこれを知って立ち去ってしまい、得るものがありませんでした。孫皓は怒って丁奉の道案内を斬りました。

丁奉は建衡3年(271)に死にました。貴くなり功を立てるとしだいに驕るようになり、彼を誹る者があると、孫皓はかつて軍を出したことを持ち出して、その家を臨川に移しました。名の字が異なる弟の丁封は後将軍に至りましたが、兄より先に死にました。裴松之注に引く『江表伝』によれば、孫皓が華里に出たとき、万彧・丁奉・留平は「孫皓が華里に至って戻らなければ、社稷の事は重いので、自分たちで帰るほかない」とひそかに謀り、この言葉が漏れて孫皓は内心恨みを抱きました。陳寿はこの巻の将たちを「みな江東の虎のような臣」と評し、陸機は『弁亡論』で孫皓の初期に「丁奉・鍾離斐は武毅をもって称された」と記しました。

丁奉雖不能吏書,而計略過人,能斷大事
丁奉は文書を扱う役人の仕事はできませんが、計略が人より優れ、大事を決断することができます『三国志』呉書丁奉伝に載る張布の言葉
取封侯爵賞,正在今日
侯の爵位と恩賞を得るのは、まさに今日にかかっている『三国志』呉書 丁奉伝

三国志演義

『三国演義』 第38~120回

演義で丁奉は、第38回に孫権が得た優れた将の一人として「廬江の丁奉」と紹介されます。第49回で東南の風が吹くと、周瑜の命で徐盛とともに諸葛亮を除くため七星壇へ向かいます。丁奉は陸路を受け持って先に着きますが、諸葛亮はすでに去った後で、趙雲の矢で徐盛の船が止まると「諸葛亮の神妙な策には人は及ばない」と言って引き返します。続いて周瑜の護衛として赤壁の戦いに出陣し、第51回の南郡では偽って負けて曹仁の将牛金をおびき出して包囲し、矢を受けた周瑜を徐盛とともに救います。第55回では徐盛とともに荊州へ帰る劉備を道筋で阻みますが、孫夫人に叱られて道を開けます。第75~76回の呂蒙の荊州襲撃にも従い、徐盛とともに左右から出て関羽を包囲します。

第83~84回の夷陵では徐盛とともに陸遜の護衛となり、火の手が上がった日に逃げる劉備の行く手を阻みますが、張苞が劉備を救い出します。第86回で曹丕が攻め込むと、徐盛の策を受けて兵3千で長江を渡った孫韶を助け、淮水のほとりで退く曹丕の道を阻み、張遼の腰に矢を命中させます。張遼は許昌に帰って傷口が開き、死にます。

第108回の東興の戦いで、平北将軍丁奉は水軍3千を率いて船を川の上に一列に並べたのち、「大丈夫が功名を立て富貴を得るのは、まさに今日だ」と言って、兵たちに鎧と兜を脱がせ、長槍の代わりに短刀だけを持たせます。魏軍はこれを見て大笑いし備えずにいましたが、丁奉が先頭に立って岸へ躍り上がり、韓綜を斬り桓嘉を倒すと大いに崩れ、浮橋が切れて大半が水に落ちます。続いて諸葛恪に新城を先に攻めるよう勧めます。第113回では張布が孫休に「老将丁奉は計略が人より優れ、大事を決断することができます」と推挙し、丁奉は臘日に大宴を開いて孫綝を呼び寄せる策を出して彼を除き、その兄弟たちを捕らえてきます。第117回には蜀を救うため兵5万の主将として出陣し、自ら寿春へ向かい、第119回に蜀が滅ぶと軍を収めて帰り、江辺に並ぶ数百の陣営をすべて率います。第120回で孫皓が即位すると大司馬となり、のちに晋が呉を攻めるころ「呉の丁奉・陸抗はみな死んだ」と記されるところで、演義における丁奉の話は終わります。

正史と演義の相違点

生涯

  1. 252孫亮が即位すると冠軍将軍となり、都亭侯に封じられました。
  2. 252東興で兵たちに鎧を脱がせ短い武器を持たせ、魏軍の前の陣営を破りました。江東の鉄壁
  3. 255降ってくる文欽を迎えに行き、高亭で敵陣に躍り込んで数百の首を斬りました。
  4. 257寿春の諸葛誕を救うため先頭に立って黎漿に駐屯し、戦った功で左将軍となりました。
  5. 258孫休に臘日の会の策を献じ、張布とともに孫綝を斬って大将軍となりました。
  6. 259仮節を受け、徐州牧を兼ねました。
  7. 263魏が蜀を攻めると、諸軍を率いて寿春へ向かい、蜀を救う形勢をとりました。
  8. 264濮陽興らとともに孫皓を迎えて立て、右大司馬・左軍師となりました。
  9. 268合肥を攻めたとき、晋の大将石苞に書状を送って離間し、彼を退かせました。
  10. 269晋の穀陽を攻めましたが民が去って得るものがなく、孫皓が道案内を斬りました。
  11. 271死後、彼を誹る者があり、孫皓はその家を臨川に移しました。

年表の中のこの人物

歴史年表でこの人物が登場する出来事です。札はその出来事が正史と演義にどう記されたかを示します。

家族

弟 丁封(名の字が異なる · 後将軍 · 兄より先に死ぬ)

縁

宿敵 戦場で出会うと互いの攻撃が上がる

邂逅 出会うと互いに防壁が上がる

遺した言葉

この武将がゲームの中で実際に口にする言葉です。

戦場に立つとき

吹雪など何のその。

口を開くとき

吹雪など何のその。もろ肌脱いでも勝ったのだ。

言い返すとき

寒さに震える側が負けるものよ。

言葉に詰まって

…指先がかじかむ。

言葉に詰まって

体が温まってからが本番よ。

舌戦に勝って

東興の雪原を覚えておけ。

舌戦に敗れて

刀が短かった。次はもっと踏み込もう。

勝ったあと

吹雪をも突き抜けたぞ。

敗れたあと

…鎧を着直さねばならぬか。

倒れるとき

鎧を脱いでも勝った身だ。

同じ旗の下

周瑜呂蒙孫堅孫策陸抗陸遜魯粛黄蓋周泰徐盛孫権程普