李勝

字 公昭 · 不詳 ~ 249年 · 荊州南陽郡 · 曹操配下

李勝の肖像

司馬懿の完璧な耄碌の芝居に欺かれ、曹爽一派を破滅へ導いた文官

能力値

統率13武力22知力29政治69魅力55

カード

攻撃力 2体力 1コスト 1価値 3職分 能吏

正史

出典 · 『三国志』魏書曹爽伝と裴松之注の『魏略』 · 『魏末伝』 · 魏書三少帝紀 · 傅嘏伝注の『傅子』 · 『晋書』宣帝紀

李勝は字を公昭といい、南陽の人です。『三国志』には彼の伝がなく、曹爽伝に名が何度か出てくるだけで、その来歴は曹爽伝の注に引く『魏略』にあります。『魏略』によれば、父の李休は字を子朗といい、智略があり、張魯の司馬として南鄭に住んでいました。漢中に甘露が降ると、李休は、漢の赤い気運は久しく衰えたので黄色い家が興るだろうとして、張魯に称号を立てるよう勧めましたが、張魯は聞き入れませんでした。張魯が敗れると、曹操は彼が張魯に帰順を勧めたとして関内侯とし、李休は後に上党と鉅鹿の太守を務めました。

李勝は若くして都に遊び、才知があり、曹爽と親しくしていました。明帝がうわべだけを追う浮華の徒を禁じると、ある者が李勝の家に「四窓八達」があり、それぞれ主の名がついていると告発しました。李勝はそのことで捕らえられましたが、関わった者が多かったため許され、数年のあいだ仕官の道を閉ざされました。『魏略』は、鄧颺も李勝らと浮華の仲間であったが、この件で退けられたと記します。

明帝が死に曹爽が政事を補佐すると、李勝は洛陽令となりました。夏侯玄が征西将軍になると李勝を長史とし、夏侯玄ももともと彼と親しくしていました。『魏略』は、駱谷の戦いは李勝から出た議論だったので司馬懿が彼を快く思わなかったと記し、『晋書』宣帝紀も、鄧颺と李勝らが曹爽に、功を立てるため蜀を攻めるよう勧めたと述べます。曹爽伝によれば、参軍楊偉は戦場で「鄧颺と李勝は国家の大事を誤らせるので、斬るべきだ」と言いました。李勝は滎陽太守を経て河南尹に昇りました。『魏略』は、彼が前後に治めた郡県で職分にふさわしくなかったことはなかったと述べますが、傅嘏伝注の『傅子』は、河南尹李勝がしばしば従来の法を壊して一時の名声を集めたと記します。『魏略』はまた、彼が河南尹として一年余りいたころ、庁舎前の屋根を修理していると小さな木材一本が跳ねて落ち、符を受ける役人石虎の頭を打ち、その十日後に李勝が荊州刺史となったと記します。

正始9年(248)冬、李勝は荊州へ発つ前に司馬懿に挨拶に行きましたが、司馬懿は病が重いふりをしてやつれた姿を見せ、李勝はそれに気づかずそのまま信じました。『魏末伝』によれば、曹爽らは李勝に、暇乞いを口実に司馬懿の様子を探らせました。司馬懿は二人の侍女に衣を持たせましたが衣は滑り落ち、口を指さして喉が渇いたと言い、侍女が粥を差し出すと粥がすべてこぼれて胸を濡らしました。李勝が哀れに思って涙を流すと、司馬懿は、彼が并州へ行くのだとして、胡に近いのでよく備えるように言い、李勝が本州の荊州へ行くのだと二度言い直しても并州だと繰り返し、ようやく聞き取ったふりをして二人の子、司馬師 · 司馬昭を託しました。李勝は戻って曹爽らに「太傅は言葉が乱れ、口で杯をくわえることもできず、南を北と言う」と伝え、太傅の病はもう治らないだろうと涙を流しました。『晋書』宣帝紀は、李勝が「司馬公は屍に残った息にすぎず、体と魂はすでに離れているので心配することはない」と言い、それ以後曹爽らが警戒を解いたと記します。

李勝が荊州に赴任する前に事件が起きました。嘉平元年(249)正月、高平陵の変が起こり、張当の供述によって曹爽と何晏らが謀反を企てたという罪に問われると、荊州刺史李勝も共に殺され、三族が滅ぼされました。彼が何歳だったのか、子がいたのかは史書に残っていません。

勝前後所宰守,未嘗不稱職
李勝は前後に治めた郡県で、その職分にふさわしくなかったことは一度もなかった『三国志』魏書曹爽伝裴松之注の『魏略』
司馬公尸居餘氣,形神已離,不足慮矣
司馬公は屍に残った息にすぎず、体と魂はすでに離れているので、心配することはない『晋書』宣帝紀 · 李勝の言

三国志演義

『三国演義』 第106~107回

演義で李勝は第106回に、曹爽の門下の客五百人のうち浮華を尊んだ五人の一人として、字は公昭と紹介されます。曹爽が権力を握ると河南尹となります。正始10年を嘉平元年に改めた後、魏主は李勝を荊州刺史とし、曹爽は彼に司馬懿へ暇乞いをさせて様子を探らせます。司馬懿は、曹爽が病の真偽を探りに寄こしたのだとして、冠を脱ぎ髪を乱し、布団をかぶって座り、二人の侍女に支えられて李勝を迎えます。

荊州刺史になって挨拶に来たという李勝に、司馬懿は并州は北方に近いのでよく備えるようにと言い、李勝が荊州だと言い直しても、并州から来たのか、青州から来たのかと見当違いの受け答えをします。そばの者たちが太傅は耳が遠いのだと言うと、李勝は紙と筆を求めて書いて差し出し、司馬懿はようやく笑って耳が遠くなったと言います。続いて司馬懿は湯を飲もうとしてこぼして襟を濡らし、むせた声で、老いて病み、もうすぐ死ぬので二人の子をよろしく頼むと言うと、寝台に倒れて喘ぎます。李勝が戻って詳しく伝えると、曹爽は「この老いぼれが死ねば、わしに憂いはない」と大いに喜び、司馬懿は李勝が去ると起き上がって、二人の子に、これで曹爽は自分を警戒しなくなるだろうと言います。

第107回で李勝は曹爽に従って高平陵へ出ます。張当の供述に何晏 · 鄧颺 · 畢軌 · 丁謐とともに名が挙がると、捕らえられて3月に謀反しようとしたと自白し、曹爽兄弟とともに市で斬られ、三族が滅ぼされます。演義で李勝が登場するのはここまでです。

正史と演義の相違点

生涯

  1. 239明帝が死に曹爽が政事を補佐すると、洛陽令となりました。
  2. 244征西将軍夏侯玄の長史として駱谷の戦いを議し、司馬懿の憎しみを買いました。
  3. 248荊州刺史として発つ際に司馬懿を訪ね、その仮病を信じて、もうすぐ死ぬだろうと伝えました。耄碌
  4. 249高平陵の変の後、曹爽一派とされ、荊州に赴任する前に殺されて三族が滅ぼされました。高平陵の前の二人

年表の中のこの人物

歴史年表でこの人物が登場する出来事です。札はその出来事が正史と演義にどう記されたかを示します。

家族

父 李休

縁

宿敵 戦場で出会うと互いの攻撃が上がる

邂逅 出会うと互いに防壁が上がる

遺した言葉

この武将がゲームの中で実際に口にする言葉です。

戦場に立つとき

知らせはわしが運ぶ。

口を開くとき

荊州へ赴く途中、ご挨拶に立ち寄りました。

言い返すとき

この目は欺けぬ。…たぶん。

言葉に詰まって

…また騙されておるのではあるまいな。

言葉に詰まって

今度はしかとこの目で見た。

舌戦に勝って

見よ、わしとて見る目はある。

舌戦に敗れて

あの病床の芝居に天下中が騙された…。

勝ったあと

よい知らせを届けられそうだ。

敗れたあと

…またあの老人に騙されたか。

倒れるとき

…あの老人にわしは騙されたのか。

同じ旗の下

曹操夏侯淵夏侯惇徐晃郝昭許褚曹仁典韋文鴦于禁楽進曹真