字 文儀 · 不詳 ~ 不詳 (224年以後) · 荊州南陽郡 · 劉備配下
塩と鉄の専売で蜀の財政を固め、諸葛亮の親征を諫めた丞相長史
出典 · 『三国志』蜀書 王連伝と陳寿の評 · 呂乂伝 · 向朗伝 · 杜微伝 · 廖立伝 · 諸葛亮伝 · 楊戯伝の『季漢輔臣賛』 · 『華陽国志』公孫述劉二牧志 · 劉後主志
王連は字を文儀といい、南陽の人です。劉璋の時代に蜀に入り、梓潼県令となりました。葭萌に留まっていた劉備が劉璋と決裂して兵を挙げ南下してくると、王連は城門を閉ざして降伏せず、劉備はこれを義として無理に攻め立てませんでした。『華陽国志』はこの出来事を建安17年(212)のこととし、梓潼県令の王連が城を固く守ったため、劉備がその義を高く評価して攻めなかったと記しています。
建安19年(214)に成都が平定されると、劉備は彼を什邡県令とし、広都に移ってからも赴任先ごとに治績を挙げました。のちに司塩校尉となり、塩と鉄の利益を国が一手に収めるようにしたところ、入ってくる利益は非常に多く、国の財政を助けました。呂乂伝は、劉備が益州を平定したのち塩府校尉を置いて塩と鉄の利益を収めさせ、のちに校尉の王連が呂乂と南陽の杜祺、南郷の劉幹を典曹都尉として招き用いたと記します。王連伝は、彼が優れた人材を選んで属官とし、彼らが最後にはみな高官に昇ったが、いずれも王連が抜擢した人々であったと記しています。呂乂はのちに漢中太守として農事を監督して諸葛亮の軍糧を供給し、尚書令にまで昇りました。杜祺は諸郡の太守と大将軍司馬を、劉幹は巴西太守を歴任しました。王連は蜀郡太守 · 興業将軍となってからも、塩府をそのまま統轄しました。
建興元年(223)に後主が即位すると、屯騎校尉となって丞相長史を兼ね、平陽亭侯に封じられました。『華陽国志』は、このとき屯騎校尉 · 丞相長史の王連が都亭侯に封じられたと記しています。そのころ南方の諸郡が服従しなかったため、諸葛亮は自ら討伐に赴こうとしましたが、王連は「あの地は草も生えぬ不毛の地であり、疫病の蔓延する土地です。一国の期待を担う御身で危険を冒して行かれてはなりません」と諫めました。諸葛亮は諸将の才が自分に及ばないことを案じてどうしても行こうとしましたが、王連の言葉がいつも懇切であったため、長く思いとどまりました。建興2年(224)、益州牧を兼ねた諸葛亮は杜微に宛てた手紙の中で、杜微の高い志を常に称えていた人々の一人として王連を挙げています。
そうしたなかで王連は亡くなりました。没年は記されていませんが、向朗伝は、向朗が王連に代わって丞相長史となり、諸葛亮が南へ出陣すると留守を預かって後事を統べたと記しています。諸葛亮は建興3年(225)の春に南征に出ました。子の王山が後を継ぎ、官は江陽太守に至りました。
陳寿は評で「王連は節を固く守って変えなかった」と述べています。楊戯は『季漢輔臣賛』で彼について「屯騎校尉は旧主に仕えて節を固く守り、新たな命を受けてからは法度に心を尽くし、軍需の頼みとするものを整えて補った」と称えました。一方、廖立伝によれば、自分の才に見合う地位を得られずに常に不満を抱いていた長水校尉の廖立は、丞相の属官たちの前で群臣をそしり、「王連は俗物で、ひたすら取り立ててかき集めるばかりで民を疲弊させ、今日の有様を招いた」と言いました。諸葛亮は、廖立が多くの士をみだりに論評し群臣をそしったとして、彼を庶人に落として汶山郡へ移しました。
王連固節不移此不毛之地,疫癘之鄉,不宜以一國之望,冒險而行『三国演義』 第87回
演義で王連は第87回に一度だけ登場します。建興3年、益州に急報が届きます。南蛮王孟獲が兵10万を起こして攻め込み、建寧太守雍闓がそれと手を結び、牂牁太守朱褒と越巂太守高定が城を明け渡して、永昌太守王伉だけが持ちこたえているというのです。諸葛亮は後主に、自ら大軍を率いて討伐に向かうと奏上し、東の孫権と北の曹丕を心配する後主に、呉とは和睦しており、白帝城の李厳が陸遜に対抗でき、馬超が漢中の関所を守っていると言って安心させます。
その言葉が終わらぬうちに、居並ぶ臣下の中から一人が進み出て「なりません、なりません」と言います。演義は彼を南陽の人、王連、字は文儀、現在は諫議大夫と紹介します。王連は、南方は草も生えぬ不毛の地で風土病の蔓延する土地であるから、国の重責を担う丞相が自ら遠征するのはふさわしくない、雍闓らは疥癬のような小さな病にすぎず、大将を一人送るだけで必ず勝てると諫めます。諸葛亮は、南蛮の地は国から遠く、人々は王の教化に馴染んでいないため服従させにくく、強硬に臨むか柔和に臨むかは別に見極めねばならないことがあり、たやすく他人に任せられる事ではないとして、自ら行くと答えます。王連が重ねて懇切に引き止めますが、諸葛亮は聞き入れず、その日のうちに後主に暇乞いをし、蒋琬を参軍、費禕を長史として、兵を率いて益州を発ちます。演義で王連が登場するのはこの場面だけです。
歴史年表でこの人物が登場する出来事です。札はその出来事が正史と演義にどう記されたかを示します。
子 王山
この武将がゲームの中で実際に口にする言葉です。
蜀の台所を預かっておる。
国の台所は塩ひと粒からだ。
勘定の合わぬ話はご免こうむる。
…赤字が出そうだ。
もう一度勘定し直そう。
蔵が満ちてこそ軍も動く。
此度の談判は損をしたわ。
台所が堅ければ勝てる。
…蔵を満たし直さねばな。
塩と鉄で国を立てた。