夏侯楙

字 子林 · 不詳 ~ 不詳 · 豫州沛国譙県 · 曹操配下

夏侯楙の肖像

武略はなくとも曹丕との縁で要職に就いた曹魏の駙馬

能力値

統率20武力7知力5政治21魅力2

カード

攻撃力 1体力 2コスト 1価値 3職分 能吏

正史

出典 · 『三国志』魏書 夏侯惇伝と裴松之注の『魏略』 · 陳思王伝注の『魏略』 · 明帝紀 · 諸夏侯曹伝 評 · 蜀書 魏延伝注の『魏略』

夏侯楙は夏侯惇の子で、裴松之注に引く『魏略』は彼の字を子林とし、夏侯惇の真ん中の息子と記します。『三国志』に独立した伝はなく、夏侯惇伝の末尾の数行と裴松之が引いた『魏略』に彼の事績が残っています。夏侯惇伝の本文は、彼が叔父の夏侯廉とともに早くから別に列侯に封じられ、曹操が娘を彼に嫁がせた、すなわち清河公主であると記します。陳思王伝に裴松之が引いた『魏略』によれば、曹操は初め愛娘を丁儀に与えようとして五官中郎将であった曹丕に尋ねましたが、曹丕が、丁儀は目が不自由なので娘が気に入らないのではないかと心配で、伏波将軍の子の夏侯楙には及ばないと言うと、その言葉に従いました。後に丁儀に会ってみた曹操は「我が子が私を誤らせた」と言いました。

夏侯楙は侍中 · 尚書と安西将軍 · 鎮東将軍を歴任し、仮節を授けられました。『魏略』は、曹丕が幼いころから彼と親しかったので、即位すると安西将軍 · 持節とし、夏侯淵が担っていた関中都督の地位を継がせたと記しつつ、「夏侯楙は性に武略がなく、財産を増やすことを好んだ」と評します。蜀書魏延伝の裴松之注に載る『魏略』によれば、夏侯楙が安西将軍として長安を守っていたとき、南鄭で計略を議論していた諸葛亮に魏延は「夏侯楙は若く主君の婿なので、臆病で策がない」と言い、精兵5千と兵糧を運ぶ兵5千を与えてくれれば褒中から出て秦嶺に沿って東へ進み、子午道から北上して十日以内に長安に着いてみせると言いました。夏侯楙はきっと船で逃げ出し、長安には御史と京兆太守がいるだけだというのです。諸葛亮はあまりに危険だとして、平坦な道から隴右を取るほうを選びました。

太和2年(228)、諸葛亮が祁山に出てくると明帝が自ら西へ来ましたが、『魏略』は、このとき誰かが夏侯楙を告発し、彼は召還されて尚書になったと記します。史書のどこにも彼が蜀軍と戦った記録はありません。西方にいたとき、彼は妓女や妾を多く抱えて公主と仲が悪くなりました。その後、弟たちが礼法を守らないので夏侯楙がたびたび厳しく叱ると、罰を受けるのを恐れた弟たちがともに彼を誹謗の罪に仕立て上げ、公主がこれを上奏したので、詔により彼は捕らえられました。明帝が彼を殺そうとして長水校尉段默に尋ねると、段默は、これはきっと清河公主が夏侯楙と不仲であるために生じた讒言であり、伏波将軍夏侯惇は先帝とともに天下を定めた功があるので、重ねてお考えいただきたいと言いました。明帝は「私もそう思っていた」と言って公主の上表を書いた者を調べさせたところ、果たして弟の子臧 · 子江がでっち上げたことでした。

その後夏侯楙がどうなったか、また生没年は史書に残っていません。陳寿は夏侯氏と曹氏の諸将をまとめて評しましたが、夏侯楙はその中に入っていませんでした。

楙性無武略,而好治生
夏侯楙は性に武略がなく、財産を増やすことを好んだ『三国志』魏書 夏侯惇伝 裴松之注の『魏略』
聞夏侯楙少,主婿也,怯而無謀
聞くところでは、夏侯楙は年若く主君の婿なので、臆病で策がないといいます『三国志』蜀書 魏延伝 裴松之注の『魏略』 · 魏延の言葉

三国志演義

『三国演義』 第91~93回 · 第102回

演義で夏侯楙は第91回に初めて登場します。諸葛亮が30万余りで漢中に出てきたという知らせに、曹叡が誰が防ぐかと問うと、彼は父が漢中で死んだ恨みを晴らすと言って関西の兵を求めます。演義は彼を夏侯淵の子で字は子休、ひどく短気でけちであり、幼くして夏侯惇の養子になったと紹介し、夏侯淵が黄忠に討たれると曹操が哀れんで娘の清河公主を娶らせた駙馬で兵権を握ったが、戦いに出たことはないと付け加えます。王朗が戦ったこともない駙馬に大事を任せられないと止めると、彼は諸葛亮と内通するつもりかと叱りつけ、大都督となって関西の兵20万余りを集めます。

第92回で魏延は、夏侯楙は美食ばかりで育った家の子だから軟弱で策がないとして子午谷から長安を攻めようと言いますが、諸葛亮は受け入れません。夏侯楙は西涼の韓徳と四人の息子を先に立てますが老いた趙雲に討たれ、程武の策に従って山上から趙雲の行く方向を指し示して彼を包囲しますが、張苞 · 関興の救援と三方からの攻撃で大敗して南安城へ逃げます。諸葛亮は安定太守崔諒の偽りの降伏を逆に利用して南安を落とし、南門から抜け出そうとした夏侯楙は王平に馬上で生け捕りにされます。

第93回で諸葛亮は姜維を説得して連れてくるという約束を取りつけて彼を放ちます。夏侯楙は天水城に入りましたが、姜維に扮した蜀軍が城を攻めるのを見て姜維が裏切ったと信じ込み、梁緒 · 尹賞が城門を開くと、太守馬遵とともに西門から抜け出して羌の地へ逃げます。諸葛亮は、夏侯楙を放ったのは一羽の鴨を放ったことであり、姜維を得たのは一羽の鳳凰を得たことだと言います。第102回で曹叡は、夏侯楙が戦いをしくじって多くの兵を失い、恥じてまだ戻ってこないと言います。演義で夏侯楙の話はここまでです。

正史と演義の相違点

生涯

  1. 220幼いころから親しかった曹丕が即位すると安西将軍となり、夏侯淵が担っていた関中を任されました。幼なじみ
  2. 227漢中に留まっていた諸葛亮の陣営で、魏延は長安を守る彼を臆病で策のない主君の婿と言いました。
  3. 228明帝が西へ来ると、誰かが彼を告発し、召還されて尚書となりました。長安を預かるも

年表の中のこの人物

歴史年表でこの人物が登場する出来事です。札はその出来事が正史と演義にどう記されたかを示します。

家族

父 夏侯惇 · 妻 清河公主(曹操の娘) · 兄弟 夏侯充 · 弟 子臧 · 子江

縁

邂逅 出会うと互いに防壁が上がる

遺した言葉

この武将がゲームの中で実際に口にする言葉です。

戦場に立つとき

駙馬のお出ましだ。

口を開くとき

駙馬の威厳を見せてやろう。

言い返すとき

人脈も実力のうちという言葉、知らぬのか?

言葉に詰まって

…父上の名に泥を塗ってしまう。

言葉に詰まって

え、援軍はどこだ。

舌戦に勝って

家柄のおかげではない、実力だ。本当だぞ。

舌戦に敗れて

負けはしたが、命は拾ったではないか?

勝ったあと

駙馬もやる時はやるのだ。

敗れたあと

…駙馬という名が重いな。

倒れるとき

名ばかり高く…何もなかった。

同じ旗の下

曹操夏侯淵夏侯惇徐晃郝昭許褚曹仁典韋文鴦于禁楽進曹真