高順

不詳 ~ 198年 · 不詳 · 呂布配下

高順の肖像

常に敵陣を破った陥陣営の主将にして、呂布配下で最も清廉な名将

能力値

統率88武力86知力60政治46魅力69

カード

攻撃力 5体力 6コスト 4価値 13職分 猛将
軍令 号令
指揮力+1

正史

出典 · 『三国志』魏書 呂布伝と裴松之注の『英雄記』 · 武帝紀 · 蜀書 先主伝と裴松之注の『英雄記』 · 魏書 夏侯惇伝 · 『後漢書』呂布伝 · 孝献帝紀

高順は呂布の将です。字や出身、生年は伝わっていません。『三国志』に独立した伝はなく、呂布伝 · 武帝紀 · 先主伝に名が見え、その人となりは裴松之注に引く『英雄記』と『後漢書』呂布伝が伝えています。『英雄記』は彼を呂布の都督と呼び、『後漢書』は督将、先主伝注の『英雄記』は中郎将と記しています。

『英雄記』によれば、建安元年(196)6月の夜半、河内の人である呂布の将郝萌が兵を率いて、呂布の滞在していた下邳の役所に攻め込みました。誰が起こした反乱かわからなかった呂布は、妻を連れ、冠もかぶらず上着も羽織らないまま厠の壁を押し破って抜け出し、高順の陣営へ向かいました。高順が心当たりはあるかと尋ねると、呂布は「河内の者の声だった」と言い、高順は「それは郝萌です」と言うとすぐに兵を整えて役所に入り、弓と弩で郝萌の一党を射散らしました。郝萌の将曹性が郝萌に背いて立ち向かい、その片腕を斬ると、高順が郝萌の首を斬りました。

『英雄記』は、高順が清廉で威厳があり、酒を飲まず、人からの贈り物を受け取らなかったと記しています。彼の率いる兵は七百人余りでしたが千人と号し、鎧や武具はすべて精巧で整っており、攻めるところで打ち破れなかった敵はなく、「陥陣営」と呼ばれました。『後漢書』も、彼が口数が少なく、兵を整然と率いて戦うたびに必ず勝ったと記しています。泰山の臧覇が莒を破ると、呂布が自ら莒へ向かおうとしましたが、高順は、将軍は自ら董卓を殺して威名を轟かせておられるのだから軽々しく兵を出すべきではなく、もし勝てなければ失う名声は小さくないと諫めました。呂布は聞き入れず、莒を落とせないまま下邳に戻りました。

『後漢書』は、呂布が決断が軽はずみで、することに一貫性がなかったと記しています。『英雄記』によれば、高順は常に「家を滅ぼし国を失うのは、忠臣や賢明な者がいないからではなく、彼らが用いられないからです。将軍は事を起こされるとき深く考えようとなさらず、何かにつけて誤ったとおっしゃいますが、誤りをどうして繰り返せましょうか」と諫めました。呂布は彼の忠誠を知りながらも用いることができず、郝萌の反乱の後は彼をいっそう遠ざけました。呂布は内外の姻戚にあたる魏続に高順が率いていた兵をすべて取り上げて与え、戦いのときになると魏続の率いる兵を高順に預けました。高順は最後まで恨みの心を抱きませんでした。

建安3年(198)に呂布が再び袁術の側につくと、高順は小沛の劉備を攻めて破り、曹操が劉備の救援に遣わした夏侯惇も高順に敗れました。先主伝注の『英雄記』によれば、その年の春、呂布が河内へ馬を買いに送った金を劉備の兵が奪ったので、呂布は中郎将の高順と北地太守の張遼らを遣わして劉備を攻めさせ、9月に小沛城を破って劉備は単身で逃れ、その妻子が捕らえられました。先主伝は、高順が劉備の妻子を捕らえて呂布のもとへ送ったと記しています。

曹操が自ら下邳を包囲すると、『英雄記』によれば、呂布は陳宮と高順に城を守らせ、自らは騎兵を率いて出撃し曹操の糧道を断とうとしました。しかし呂布の妻が、陳宮と高順はもともと仲が悪いので、将軍が出て行かれたら心を一つにして城を守らないだろうと止めたので、呂布は決断できませんでした。包囲されて三か月で呂布の将侯成 · 宋憲 · 魏続が陳宮を縛り、配下を率いて降伏し、『後漢書』はこのとき侯成が諸将とともに陳宮と高順を捕らえたと記しています。白門楼から下りて降伏した呂布を曹操は絞め殺し、呂布 · 陳宮 · 高順らの首をすべて許に送ったのち葬りました。『後漢書』は三人とも絞め殺したと記しています。高順の家族や子孫は伝わっていません。

順爲人清白有威嚴,不飲酒,不受饋遺
高順は人となりが清廉で威厳があり、酒を飲まず、人からの贈り物を受け取らなかった『三国志』魏書 呂布伝 裴松之注の『英雄記』
所將七百餘兵,號爲千人,鎧甲鬬具皆精練齊整,每所攻擊無不破者,名爲陷陣營
率いる七百人余りの兵を千人と号したが、鎧や武具はすべて精巧で整っており、攻めるところことごとく打ち破ったので、陥陣営と呼ばれた『三国志』魏書 呂布伝 裴松之注の『英雄記』

三国志演義

『三国演義』 第11~12回 · 第14~19回

演義で高順は第11回に初めて登場します。濮陽で陳宮が西の陣営を守るよう言うと、呂布は高順と魏続 · 侯成を遣わしますが、曹操が先に陣営を奪うと、四更ごろに着いた高順が曹操と入り乱れて戦い、呂布が来ると魏続 · 侯成とともに曹操を追撃します。第12回では濮陽城で侯成の後詰めを受け持って出撃して戦い、城へ退き、炎の中を南門から逃れる曹操の行く手を侯成とともにふさぎますが、典韋が突破します。定陶を失うことになると、陳宮とともに呂布の家族を守って逃れます。

第14回で呂布が徐州を奪うときに付き従い、第15回では袁術が財物を約束したので兵5万で劉備の背後を突きに行きましたが、劉備がすでに去ったことを知り、袁術の将紀霊に約束の品を出せと迫ります。第16回で小沛を守り、第17回では袁術の七手の軍を迎え撃つため小沛へ出て橋蕤を防ぎます。

第18回で呂布は劉備が曹操に送った返書を手に入れ、高順と張遼に小沛を攻めさせます。高順は救援に来た夏侯惇と四、五十合戦って敗れ陣を回って逃げますが、陣の上の曹性がひそかに射た矢が夏侯惇の左目に突き刺さります。夏侯惇は矢を抜いた拍子に一緒に抜けた眼球を「父の精、母の血」と言って呑み込み、曹性を突き殺します。夏侯惇が引き返すと、高順は背後を突いて曹操の兵を大いに破ります。第19回で高順は張遼と関羽の陣営を攻めて劉備を小沛から追い出し、張遼とともに小沛を守りますが、陳登の偽りの知らせで城を空けることになります。

下邳に閉じ込められた後、高順は張遼とともに、娘を背負った呂布に従って包囲を突破しようとしますが阻まれて戻ります。城が落ちるとき張遼と西門にいて水に阻まれて捕らえられ、曹操が「言うことはあるか」と問うと答えなかったので、怒った曹操が首を斬らせます。演義で高順が登場するのはここまでです。

正史と演義の相違点

生涯

  1. 196夜半に反乱を起こした郝萌を声で見抜き、兵を整えてその首を斬りました。
  2. 197呂布が自ら莒へ臧覇を討ちに行こうとすると、軽々しく出陣しないよう諫めました。
  3. 198小沛の劉備を破り、救援に来た夏侯惇まで退け、劉備の妻子を捕らえました。
  4. 198下邳が陥落するとき捕らえられ、呂布 · 陳宮とともに死に、その首は許へ送られました。陥陣営

年表の中のこの人物

歴史年表でこの人物が登場する出来事です。札はその出来事が正史と演義にどう記されたかを示します。

縁

宿敵 戦場で出会うと互いの攻撃が上がる

邂逅 出会うと互いに防壁が上がる

遺した言葉

この武将がゲームの中で実際に口にする言葉です。

戦場に立つとき

陥陣営が出る。

口を開くとき

陥陣営は語らぬ。貫くのみ。

言い返すとき

長話は無用だ。始めよう。

言葉に詰まって

…陣が揺らぐか。

言葉に詰まって

締め直せばよいこと。

舌戦に勝って

崩れぬ陣などない。

舌戦に敗れて

主公がわが言を聞いておれば…。

勝ったあと

立ちはだかった陣はすべて開いた。

敗れたあと

…黙って退こう。

倒れるとき

…何も言うまい。

同じ旗の下

呂布張遼陳宮魏続宋憲侯成張邈貂蝉