顔良

字 不詳 · 不詳 ~ 200年 · 不詳 · 袁紹配下

顔良の肖像

袁紹の先鋒として白馬を攻め、関羽に斬られた将

能力値

統率86武力93知力40政治32魅力51

カード

攻撃力 6体力 5コスト 4価値 13職分 猛将
突騎 号令
召喚物鉄騎を1体呼ぶ(1/2)

正史

出典 · 『三国志』魏書武帝紀 · 袁紹伝 · 荀彧伝 · 荀攸伝 · 董昭伝 · 徐晃伝 · 蜀書関羽伝 · 『後漢書』袁紹伝 · 荀彧伝

顔良は袁紹の将です。字や出身、生年は伝わらず、『三国志』と『後漢書』に残るのは、建安5年(200)に白馬で死ぬまでの数行だけです。

袁紹伝は、袁紹が四州を領して許を攻めようとしたとき、審配・逢紀に軍事を任せ、顔良と文醜を将としたと記します。『後漢書』荀彧伝によれば、孔融は「顔良と文醜は勇猛さが三軍に冠たるもので、袁紹の兵を率いている」と憂えましたが、荀彧は「顔良と文醜は匹夫の勇にすぎず、一戦で捕らえられる」と言いました。『三国志』荀彧伝は同じ言葉を「一人の勇」と記しています。

建安5年(200)2月、袁紹は郭図・淳于瓊とともに顔良を送って白馬で東郡太守劉延を攻めさせ、自らは黎陽に至って黄河を渡ろうとしました。袁紹伝によれば、沮授は「顔良は性質が狭量で性急なので、驍勇であっても一人で任せることはできません」と諫めましたが、袁紹は聞き入れませんでした。4月、曹操が劉延を救いに出ると、荀攸は、延津へ行って河を渡り背後を突くように見せれば袁紹は西へ応じるはずなので、その隙に軽兵で白馬を急襲すれば顔良を捕らえられると言いました。袁紹がはたして兵を分けて西へ送ると、曹操は道を急いで白馬へ向かい、十余里手前に至ると、顔良は大いに驚いて迎え撃ちに出てきました。曹操は張遼と関羽を先鋒にして撃ち破り、顔良を斬りました。関羽伝は、関羽が遠く顔良の大将旗と傘蓋を望み見て馬を走らせ、万の軍勢の中で彼を刺して首を斬って戻り、袁紹の諸将の中に敵う者がなく、ついに白馬の包囲が解けたと記しています。徐晃伝と董昭伝も、二人が顔良を討つ戦いに従ったと記します。

続いて文醜までもが延津で斬られると、武帝紀は「顔良と文醜はどちらも袁紹の名将であったが、二度の戦いでともに捕らえたので、袁紹の軍は大いに動揺した」と記します。荀彧伝は、顔良と文醜が戦いに出て首を差し出したことが荀彧の見立てどおりであったと記しています。史書に残るのはこれだけです。

羽望見良麾蓋,策馬刺良於萬眾之中,斬其首還
関羽は遠く顔良の大将旗と傘蓋を望み見ると、馬を走らせて万の軍勢の中で彼を刺し、首を斬って戻った『三国志』蜀書 関羽伝
良性促狹,雖驍勇不可獨任
顔良は性質が狭量で性急なので、驍勇であっても一人で任せることはできない『三国志』魏書袁紹伝 · 沮授の言葉

三国志演義

『三国演義』 第5~7回 · 第13回 · 第22回 · 第25回

演義で顔良は第5回に初めて名が出てきます。董卓を討つために集まった諸侯が華雄に将を次々に討たれると、袁紹は「わが上将の顔良と文醜が来ていないのが惜しい。一人でもいれば華雄など恐れることがあろうか」と言います。第6回では玉璽をめぐって孫堅と袁紹が剣を抜くとき文醜とともに袁紹の背後で剣を抜き、第7回では袁紹が冀州に入るとき刀を持って襲いかかった耿武を斬り、界橋の戦いでは文醜とともに弓弩手を率いて先鋒に立ちます。第13回では袁紹の命で兵五万を率い、呂布と戦う曹操の救援に向かいます。第22回で孔融が顔良と文醜を三軍に冠たる勇と言うと、荀彧は「匹夫の勇で、一戦で捕らえられる」と言い返します。

第25回で袁紹は顔良を先鋒として白馬を攻めさせ、沮授が狭量で一人に任せられないと言うと「わが上将はお前たちが推し量れるものではない」と退けます。顔良は先頭の精兵十万で陣を敷き、曹操が繰り出した呂布の旧将宋憲を三合もたたずに斬り、仇を討つと出てきた魏続を一合で斬り、徐晃と二十合戦って退けます。程昱の推挙で呼ばれた関羽は、土山の上から傘蓋の下の顔良を見下ろして「標を挿して自分の首を売りに出たようなものだ」と言うと、赤兎馬を駆ってまっしぐらに敵陣へ躍り込みます。河北の兵は波のように割れ、傘蓋の下にいた顔良は突進してくる関羽を見て何か問おうとしたところへ赤兎馬がもう目の前に迫り、手を出す間もなく刺されて落馬します。関羽はその首を斬って馬の首に結びつけて戻り、わが弟の張飛は百万の大軍の中で上将の首を袋の中の物を取り出すように取ると言います。袁紹は赤い顔に長いひげの将が顔良を斬ったと聞いて劉備を殺そうとします。演義で顔良が登場するのはここまでで、その後は関羽が顔良と文醜を斬ったことが何度も繰り返し語られます。

正史と演義の相違点

生涯

  1. 199袁紹が許を攻めようとしたとき、文醜とともに袁紹軍の将となりました。
  2. 200郭図・淳于瓊とともに白馬で東郡太守劉延を攻めました。河北の将たち
  3. 200荀攸の策で白馬を急襲した曹操に敗れ、関羽に刺されて首を斬られました。白馬

年表の中のこの人物

歴史年表でこの人物が登場する出来事です。札はその出来事が正史と演義にどう記されたかを示します。

縁

邂逅 出会うと互いに防壁が上がる

遺した言葉

この武将がゲームの中で実際に口にする言葉です。

戦場に立つとき

河北一の槍だ!

口を開くとき

河北一の槍の腕を見せてやろう。

言い返すとき

文醜が来る前に片付けてやる。

言葉に詰まって

…妙な赤ら顔がちらつくな。

言葉に詰まって

まだ槍は折れておらぬ。

舌戦に勝って

白馬の雪辱だ!

舌戦に敗れて

赤兎馬が…速すぎた。

勝ったあと

わが槍の前に立てる者はおらぬ!

敗れたあと

…赤ら顔が速かったか。

倒れるとき

…赤ら顔め、あれほど速いとは。

同じ旗の下

張郃文醜袁紹高覧審配蒋奇田豊袁尚袁譚張南袁熙許攸