字 不詳 · 不詳 ~ 不詳 · 冀州常山国真定県 · 一勢力の主
百万の黒山賊を率い、曹操に降った飛燕
出典 · 『三国志』魏書 張燕伝と裴松之注の『九州春秋』 · 『典略』 · 『晋恵帝起居注』 · 武帝紀 · 呂布伝 · 張遼伝 · 『後漢書』朱儁伝 · 袁紹伝 · 呂布伝 · 公孫瓚伝 · 霊帝紀 · 献帝紀
張燕は常山国真定県の人で、もとの姓は褚でした。黄巾が起こると若者たちを集めて賊となり、山や沼沢の間を転々と攻めて真定に戻ったときには、配下は一万余人になっていました。博陵の張牛角も兵を起こして張燕と合流し、張燕は張牛角を首領に戴いて、ともに癭陶を攻めました。張牛角は流れ矢に当たって死に際し、配下に必ず張燕を首領とせよと言い残し、配下がその言葉どおり張燕を戴いたので、張燕は姓を張に改めました。『後漢書』霊帝紀は、中平2年(185)に黒山の張牛角ら十数の集団がともに起こり、各地を荒らしたと記しています。『三国志』は、張燕は剽悍で敏捷さが人並み外れていたので軍中で飛燕と呼ばれたと記し、『後漢書』朱儁伝は、勇猛で兵士の心をよくつかんだと記しています。
『九州春秋』によれば、張角が起こって以来、黒山 · 白波 · 黄龍 · 飛燕 · 于毒など、さまざまな名の集団がそれぞれ立ち上がり、大きいもので二、三万、小さいものでも数千を超えました。『典略』は、彼らはもともと官人の家の出ではないので互いにあだ名を付けて呼び合ったとし、白馬に乗る者を張白騎、すばしこい者を張飛燕、声の大きい者を張雷公と呼んだと記しています。その後、勢力はしだいに増し、常山 · 趙郡 · 中山 · 上党 · 河内の山あいの谷が互いに通じ合い、小頭目の孫軽 · 王当らがそれぞれ手勢を率いて張燕に従ったので、配下は百万に達して「黒山」と呼ばれました。霊帝はこれを討つことができず、河北の諸郡が被害を受けました。張燕が都に人を送って降伏を願い出ると、朝廷は彼を平難中郎将とし、『後漢書』は河北の山谷の事を任せ、毎年孝廉と計吏を推挙できるようにしたと記しています。しかし張燕はのちに河内を荒らして都の近くまで迫り、朝廷は朱儁を河内太守に出して彼を撃退しました。
董卓が天子を長安に遷し、天下に兵が起こると、張燕は配下を率いて豪傑たちと手を結びました。袁紹と公孫瓚が冀州を争うと、張燕は部将の杜長らを送って公孫瓚を助けましたが、袁紹に敗れました。『後漢書』袁紹伝は、袁紹が黒山の諸集団を討った後、常山で張燕と屠各 · 雁門の烏桓を迎え撃ったと記します。張燕の精兵は数万、騎兵は数千騎で、十日余り戦って張燕の兵は多く死傷しましたが、袁紹の軍も疲れ、それぞれ退いたといいます。『後漢書』呂布伝は、このとき袁紹に身を寄せていた呂布が赤兎に乗り、成廉 · 魏越ら数十騎とともに一日に三、四度も張燕の陣に突入して首を斬って出てきて、十日余り戦って張燕の軍を破ったと記しています。これ以後、張燕の配下はしだいに散っていきました。
建安4年(199)春、張燕は公孫瓚の子の公孫続とともに兵10万を率いて三方から易京の救援に向かいましたが、着く前に公孫瓚は袁紹の伏兵に敗れて死にました。建安9年(204)に鄴が落ちた後は、曹操の部将張遼が常山を巡って黒山の孫軽らを招いて降伏させました。曹操が冀州を平定しようとすると、張燕は使者を送って王師を助けたいと願い出て平北将軍となり、配下を率いて鄴に来て安国亭侯に封じられ、食邑五百戸を受けました。『三国志』武帝紀は、建安10年(205)夏4月に張燕が配下十余万を率いて降伏し、列侯となったと記しています。
張燕が死ぬと子の張方が跡を継ぎ、張方が死ぬとその子の張融が継ぎました。裴松之注に引く『晋恵帝起居注』は、張燕の曾孫張林が晋で趙王司馬倫の乱に加わり、一年も経たずに尚書令 · 衛将軍に昇って郡公に封じられたものの、まもなく司馬倫に殺されたと記しています。陳寿は張燕 · 張繍 · 張魯について、「賊の群れを捨てて功臣の列に加わり、危亡を免れて宗祀を保ったのだから、あの者たちよりは勝っている」と評しました。
燕、繡、魯舍群盜,列功臣,去危亡,保宗祀,則於彼為愈焉燕剽捍捷速過人,故軍中號曰飛燕『三国演義』 第11回 · 第21回 · 第33~34回
演義で張燕は前面に出る場面がなく、何度か名前がかすめるだけです。第11回で、長安を追われた呂布が袁紹に身を寄せ、常山でともに張燕を破ったという話が通りすがりに出てきます。第21回では、易京に閉じ込められた公孫瓚が張燕にひそかに書状を送り、火を上げて内外から挟み撃ちにしようと約束しますが、書状を運ぶ者が袁紹に捕らえられ、その火がかえって公孫瓚をおびき出す餌になったと満寵が曹操に申し上げます。第33回で曹操が袁譚を斬って南皮に入ると、「黒山賊張燕」が兵10万を率いて来て降伏し、平北将軍となります。曹操は続いて李典 · 楽進に張燕とともに并州の高幹を攻めさせ、三将は壺関で阻まれて曹操に知らせます。第34回で曹操が鄴に銅雀台を築かせ、曹植と曹丕を残すとき、張燕に北の陣を守らせます。演義で張燕が登場するのはここまでです。
歴史年表でこの人物が登場する出来事です。札はその出来事が正史と演義にどう記されたかを示します。
子 張方 · 孫 張融 · 曾孫 張林
この武将がゲームの中で実際に口にする言葉です。
黒山の飛燕だ!
黒山百万がわしの後ろにおる。
山を転げ回った身ゆえ、口も身軽よ。
…山の険しいことよ。
燕は落ちぬ。
飛燕と呼ばれる所以よ。
山へ帰ればそれまでだ。
山を飛ぶように駆け抜けた!
…山へ帰らねばならぬか。
山を飛んだ身がここに横たわる。